大統領の顔は、なぜ隠されて描かれたのか——AIで読むコミック3,929冊
1938〜56年のアメリカン・コミック3,929冊(195,795ページ)と日本のマンガ87巻を視覚言語モデルに読ませ、人の手で確かめてから歴史を測る研究。現職大統領の57%が顔を隠して描かれていたことなど、三つの研究の景色を紹介します。
📑 目次
1941年6月、真珠湾攻撃の半年前。『Pep Comics』16号のページで、大統領が若いヒーローに海軍の辞令を手渡しています。
でも、そのページのどこにも、大統領の名前は印刷されていません。読者は、鼻眼鏡と横顔で、それがフランクリン・ルーズベルトだと分かるようにできているんです。
ふむふむ。名前を書かない。それなのに、誰なのかは伝わる。これは漫画というメディアが育てた、視覚の文法です。
コミックは、20世紀の巨大な視覚記録です。1938年から1956年までのアメリカン・コミックだけで、3,929冊、195,795ページ。でも、これだけの量を前にすると、研究は「一冊ずつ、丁寧に読む」しかありませんでした。何十万枚ものページを全部読める人は、一人もいません。
じゃあ、機械に読ませたらどうなるんでしょう。
今週のピックアップ論文は『Studying Comics at Scale with Artificial Intelligence: The PAGE Framework and Three Studies of American Comics and Japanese Manga』。南カリフォルニア大学(USC)のEmilio Ferraraさんが、2026年10月9日にarXivへ公開した論文です。アメリカン・コミック3,929冊(195,795ページ)と、日本のマンガ87巻(1970年代〜2010年代、東京大学のManga109-s)を、視覚言語モデルで読ませて、漫画史を「測って」います。
PAGE——読み方のルールブックを、先に書く
この研究の面白さは、規模よりむしろ「読み方」にあります。
枠組みの名前はPAGE。四つの段階でできています。
- Parse(解析)——ページをコマと吹き出しと文字に分解し、出版年や出版社、作者の情報を結びつける
- Annotate(注釈)——視覚言語モデルが、あらかじめ書かれた「コードブック」(人間の調査員が使うような判断基準の文書)に沿って、1ページずつ読む
- Ground(検証)——モデルの読みを、人間の注釈や別の方法で読んだ結果と突き合わせる
- Explain(説明)——出版社やジャンルの偏りを揃えたうえで、時代ごとの変化を推定する
大事なのは、読ませっぱなしにしないこと。ものさしを使う前に目盛りを確かめる——それと同じことを、AIに対しても丁寧にやっています。たとえば、マンガの吹き出しの「話者」の性別について、モデルの読みは人間の注釈と92.7%一致しました。コマの自動検出は、人間が手で描いた枠とほぼ一致(F1スコア0.97)。何層もの確認を重ねてから、初めて数を数える段階に進むんです。
研究その1——大統領の顔は、隠されていた
最初の研究は、コミックが「政治権力」をどう描いてきたかです。
文字認識(OCR)で大統領の名前や肩書きが出てくるページを1,005件拾い、サンプルを加えた1,082ページをモデルに読ませたところ、本物の大統領への言及が787件見つかりました。
面白いのはここから。現職の大統領を「描いている」ページのうち、57%が顔を隠していました。シルエット、影、後ろ姿、机の奥からの声。名前も書かれず、顔も見せない。
一方、歴代の大統領(ワシントン、リンカーン、セオドア・ルーズベルト)は、隠されているのが3%だけ。切手や銅像や壁の肖像画として、堂々と顔が出ています。
なぜ現職だけ隠すのか。論文はこの傾向を「敬意」と読んでいます。787件の言及のうち、実在の大統領を茶化したものは3件だけ(うち1件は期間外の1921年)。あとは全部、敬意か中立のトーンでした。
役割も時代で変わります。大統領が「最高司令官」として登場する割合は、真珠湾前は4%、戦中の1942〜45年には11%へ上がり、戦後は3%に戻る。戦争が、大統領の描かれ方を変えたんですね。
研究その2——ページの「文法」が、変わる
二つ目の研究は、ページの設計そのものを測ります。
戦時中、1ページあたりのコマ数は7.28(1940〜41年)から6.02(1944〜45年)へ減り、そのぶん1コマが大きくなって、ページの大部分を占める「スプラッシュ」が増えました。戦後は文字が増えていって、1ページあたり189語(1944〜45年)が264語(1953〜54年)に。
表紙のジャンルも、劇的に回ります。スーパーヒーローの表紙は1942〜45年の42%から、1950〜56年には6%まで落ちます。逆にホラーは2%から26%へ急増しました。この流れが、1954年の業界の自主規制「コミックス・コード」への道につながっていくんですね。マンガでも、1980年代の5.3コマから2000年代の5.0コマへ、同じ方向の変化が見つかっています。
そしてもう一つ。ページ画像の「似ている」を手がかりに、作画を担当した画家を当てる試み。別シリーズのページ同士で同じ人にたどり着く率は2.4%(でたらめの場合1.5%)。まだ小さな数字です。でも、当時の作品の22%には作画のクレジットがない。手がかりが一つ増える意味は、小さくありません。
研究その3——誰が、話しているのか
三つ目の研究が、チカちゃんは一番好きです。吹き出しのセリフを、誰が話しているのか数えるんです。
アメリカン・コミック(1938〜56年、1,055ページ・10,282個の吹き出し)では、女性が話すセリフの割合は15.7%。戦後の数年で11%から20%へ上がって、また18%に落ち着きます。
一方、日本のマンガ(1970年代〜2010年代)では40.3%。読者層別に見ても、少女向け49.4%、女性向け41.7%、青年向け39.2%、少年向け34.7%と、どこでもアメリカン・コミックを上回っています。
でも、ここで一回疑ってみましょう。
この二つのコーパス、約半世紀ずれているんです(1938〜56年 vs 1970年代〜2010年代)。だからこの差には「文化の違い」と「時代の違い」が混ざっていて、論文自身も「因果の結論は出さない」と明言しています。1970年代以降のアメリカのコミックと比べたら、景色はまた違うかもしれません。
むしろ面白いのは、両方に共通して見つかったこと。「女性が話すセリフの量は、ページに描かれている女性の数に、ほぼ比例する」。つまり、セリフの偏りの正体は、主に「描かれる人数」の偏りなんです。少女マンガだけは、描かれる数より少し多く女性が話す、という例外も見つかっています(+4.0ポイント)。
誰が描かれ、誰が話すか。それは漫画の文法であると同時に、その時代の社会の鏡ですね。
描くためじゃなく、届くために
ここまでの三つの研究、「人間が読んでも分かるのでは?」と思うかもしれません。でも、これらは全部「全ページを読む」から初めて見える景色です。787件の言及を拾うことも、2,924冊分のページを数えることも、10,282個の吹き出しの話者を判定することも。選んだ数十冊では、統計として立ち上がりません。
そして、この論文のいちばん誠実なところ。それは「AIで漫画を描く」話を一切していないことです。はっきりこう書いています——「この研究は、AIによる作品生成の推奨でも、可能にすることでもない」。読み取りの結果は、目が見えない読者のための音声化(コマの順番と話者の情報があれば、スクリーンリーダーが読めます)、作者不明の作品のクレジット研究、傷んだ紙の保存に使える。描くためじゃなく、届くため、残すため。ここ、チカちゃんは静かに感動しました。
最後に
何十万ページの記録を、誰も全部は読めなかった。その「読めなさ」は、漫画史研究がずっと抱えてきた前提でした。いま、読むための道具ができつつあります。ただし、それは「AIに任せる」ではありません。読み方のルールブックを先に書き、人間の読みと突き合わせてから、初めて使う。目盛りを確かめてから、文化を測る。
1941年のあのページで、読者は鼻眼鏡だけで大統領を見つけました。2026年、機械は1,082ページから大統領を探して、顔の隠され方を数えました。どちらも「読む」です。でも、機械の読みは人間の読みを置き換えるんじゃなく、人間には読めなかった量を、読めるようにする。
もし全ページを読める「読者」がいたら、あなたは何を訊いてみたいですか? 好きな作品、気になっているあの時代——何を測ってみましょう。
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参考URL
Emilio Ferrara, Studying Comics at Scale with Artificial Intelligence: The PAGE Framework and Three Studies of American Comics and Japanese Manga(arXiv:2610.13840, 2026; University of Southern California)→ https://arxiv.org/abs/2610.13840
論文PDF → https://arxiv.org/pdf/2610.13840
Manga109(東京大学)→ https://manga109.github.io/manga109-project-website/ja/index.html
Grand Comics Database → https://www.comics.org
本記事は査読前のプレプリントをもとにした紹介です。本文中の数値(割合やページ数など)は、論文に記載された特定のコーパス・実験条件における結果であり、すべての作品や時代にそのまま当てはまるものではありません。研究の詳細は原論文でご確認ください。
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